なぜコミュニティをつくるのか

今回は、前回の記事を少し掘り下げて説明したいと思います。

「コミュニティをつくりたいと考えるに至った経緯」
私は1ヶ月ほど前に、ある理由からTwitterを始めました。まあ、ただ閲覧するだけだったのですが、それらを眺めていて気づいたのです。
これはマズい!と。
私は、SNSというものを趣味的に使用するモノと思っていました。友達と話をしたり、日記みたいなものを書いたり‥それはつまり、車というものをレジャーにしか使わないってことと同義だということに気づいたんです。笑
Twitterの情報からはインターネットやそれに関連したテクノロジーの、それこそ無限の可能性を感じることができます。
そして、そういった情報の中に、地方に移住し活躍する若者たちの情報も数多くあります。
彼らは、インターネットを活用し、情報を共有しながら活動の幅を広げています。そこには「場所」という概念がありません。と、いうよりも、むしろ地方の利を活かして活動しているのです。
そういう若者たちの活動を見てると、なんだかその町に行ってみたいとすら感じさせられます。だから当然、私は思うわけです。
あれ?なんで佐々町からは、こういう情報発信が無いんだ!?、これはヤバい!と笑

「団体ではないコミュニティ」
私が今回提案するコミュニティのイメージは、すこし、普通のコミュニティと違います。何が違うのかというと、「代表者、管理者、責任者の存在しないコミュニティ」だからです。
つまり、ミクロとマクロは団体ではありません。ミクロとマクロという名前はキーワードに過ぎず、「概念」みたいなものです。ちょっと変な話ですが、仕組みとして「宗教」に近いのかな‥と思います(ただの例えであり、宗教ではありません笑)管理者不在のコミュニティは自然発生的な形でならいくつもあるでしょうが、これを作為的に作るというのは、かなり実験的な試みかと思います。しかし、私は団体や組織となれば、はっきりいって、めんどくさいし、責任もおいたくありません笑
しかし、多くの人がそうだと思います。加入したらめんどくさそう‥活動とかめんどくさい、嫌な人と一緒にやりたくない、などなど。
ですから、自由で開かれた誰にも負担をかけないコミュニティにする為には、むしろ団体組織では無いほうが円滑に形成できる気がしてるのです。コミュニティの形成に必要なものは「共通概念、共感、合意」だけなのです。

「まとめ」
いろいろと自分の考えを書きましたが、まあ、要するに、佐々町をはじめ近隣地域の楽しい情報が一元的に手に入る方法が存在していないことから、インターネットを使ってこの問題を解決できないだろうか?という単純な話です笑。私の提案への意見以外にも、なにかアイデアがあれば、ぜひ知恵を貸して頂けたら嬉しいです。